菊容子さん語録



text by:さかさん

「ママね、すごくこわいのよ・・・」

昭和36年の新年号のインタビューにて。
洋子さんは撮影の時にいつもお母様が付き添っているのですが、お母様のバックの中には目薬が常備されて
あるそうです。
実は2学期に3回も教室で立たされたというおてんばな洋子さんに、お母様は撮影中にいたずらでもしたら
泣くまで叱って、泣いて赤くなった目に目薬をつけて治してから撮影を・・・と用意しているのだそうです。
そう、容子さんの愛称は”お転婆”にちなんだジェジェ。
子供の頃からそのお転婆っぷりが発揮されていたようですね♪

少女に夢をあたえてを参照。

「50歳くらいまでに、助演女優賞をとりたいと思ってます。・・・何でもガメツクやりたいと思っています。」

昭和46年10月29日発行の週刊TVガイドの記事より。
当時は”TV女優”という評価が低く、まだまだ”映画女優”の評価が高かったにも関わらず主演女優ではなく
あくまで助演女優に着目していらっしゃった容子さん。
やがて映画が斜陽を迎えTVの時代を迎える事となるのですが容子さんは既に時代を先読みしていた
のではないでしょうか。

「あまり、学校って好きじゃないんです」

新聞名、日付不明。
「今週の顔」より。
「好き!すき!!魔女先生」の主役に抜擢された時のコメントでして教え子の子供達から”先生”と呼ばれ、
ギクッ!とすることもあったそうです。
しかし、容子さんの持ち前であります明るさですぐに子供たちとも仲良くなり、漫画やゲームの話に
夢中だったとか♪

「とにかく面白いし一生懸命ですよ」

新聞名、日付不明。
「今週の顔」より。
容子さんにとって「魔女先生」が初めての主役。体中に痣を作りながらも月ひかる役を演じていらっしゃいました。
その一生懸命さは「魔女先生」をご覧になられたら一目瞭然!

「これから本格的な恋をしたいの」

「テレビガイド」昭和43年08月02日号「でっかい青春」出演時のインタビューより。
表題は”本格的な恋がしたい十七歳”

「でっかい青春」の生徒役で、これからが期待されている菊容子。
遅れてホテルオークラのロビーに現われた。
開口一番「まだ食事前でお腹がすいているんです」ときた。
学校から家へかけ込んできたという感じである。
・・・・なににする?
「コーン・スープと野菜サラダとコーラ」を注文して、「少食に見えるでしょう」とニヤリ笑う。
「でっかい青春」では、クラス一の秀才の生徒。「秀才って気分がいいんですね。
もともと勉強より芝居の方が好きで、学校を休校しているのでそのぶん取り返したつもり。
でも秀才ってガタガタ騒げないからちょっとつまらない」サラダをむしゃむしゃ食べながらの話。
昭和二十五年九月二十六日生まれの十七歳。横浜で生まれ、横浜育ち。
二歳のころ、フジフィルムのモデルからそのまま子役として映画「城ケ島の雨」、テレビ「人生劇場」などに出演していた。
「子役のまま進んじゃうのはよくないと思って中学生になって一度止めたんです。
しばらくたったら、どうしても、また仕事がしたくなって、中学三年の秋にNHKのオーディションを受けたら見事に合格しちゃったの」
目が必要以上にキョロキョロ動く。ときどきオデコをさわる。ニキビがたくさん出ているのが気になるらしい。
「とにかく仕事が好きなので、少なくとも勉強やっているときよりは楽しいんです。だから今はなんでもやってみたい」
意地っ張りだと自認している彼女、去年の四月に横断歩道を歩いていて、ライトバンにはねられ、二週間入院した。
入院中にこれからは女優として生きていこうと決心した。
「庶民的な顔をしてるでしょう。(顔をつき出す)だからこれは勉強しなくちゃ一人前の女優にはなれないなあーと思ったの」
彼女の演技の批評家は今のところ両親。
「父はわりと甘いんですけど、母なんかにいわせるとあれが芝居ですか(顔をしかめて真似をする)なんていわれちゃうです。」
 六つのときから若柳流の踊りを習って、十五歳で名取りになった。
「早く踊りが生かせる芝居をしたいわ」
スターといわれるよりいい役者だといわれるようになりたい・・・・これも意地だという。
「でもあるていど謙虚でなくては駄目ですネ。あーいっちゃった。
この言葉を一度いってみたかったの」(テレながら顔を両手でかくす)無邪気である。
最後にちょっぴり十七歳らしいところで
「これから本格的な恋をしたいの」


text by・さかさん



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