少女に夢をあたえて〜少女クラブの中の菊容子さん〜



text by:ニーノさん、HAYAKOさん


1960(昭和35)年6月号

表紙は渡辺典子さんながら、洋子さんの登場も近いといった処。
(渡辺さんの成長から、表紙モデルの交代時期)冒頭グラビアでは、「走れスポーツカー」というタイトルで、3人娘(渡辺典子,橋田ユリ,そして、菊池洋子)が横浜にドライブに行ったという設定で、日産のスポーツカーに乗ったり、外人墓地,港の見える丘公園での写真が見開き2ページに掲載されている。
横浜といえば、洋子さんの地元と思った処、やはり、「「ここが、外人墓地で、むこうが…」と横浜そだちの
洋子ちゃんは説明役です。」というコメントが付いている。
外人墓地の写真では、「さあ、このへんで休んで、おまちかねのごちそうをたべましょうね」という記述が
あり、楽しい撮影状況が伺える。
定価は140円。

1960(昭和35)年7月号

表紙はやはり、渡辺典子さん。
冒頭グラビアは、「ヤッホー 楽しい夏をすごしましょう」。
渡辺典子さんと一緒に赤い髪かざりに、半そでのワンピース姿の写真が掲載されている。
背景は雪の山だが、合成?
編集部だより(エリ子の日記)では、以下が掲載されている。
「あひるにのった洋子ちゃん」
05月16日に横浜で行われた国際仮装港まつりで、大きなあひるのだしに乗った洋子ちゃんです。
エリ子(編集長?)も招待されて行ってきたけど、おとぎの国のような(少し正確でないかも知れません)
だしがたくさん出て楽しかったのよ。
エリ子も、アヒルのだしに乗りたかった。
定価は140円

1960(昭和35)年8月号

いよいよ9月号から洋子さんが表紙モデルとなるとの事で、渡辺典子さんと洋子さんの読者へのご挨拶が掲載されている。
洋子さんは、「洋子が少女クラブの表紙になるなんて、ゆめみたいだわ。
洋子ってとっても、おてんばなのよ。でも、いっしょうけんめいがんばります。」と赤いティーシャツで挨拶。
「夏のはまべ」というグラビアには、北原白秋作の「城ヶ島の雨」が載っている。
そういうタイミングなのでしょうか?
たしか、「雨はふるふる城ヶ島のいそに りきゅうねずみの雨がふる 雨は真珠か夜あけのきりか それともわたしの しのびなみだ 雨はふるふる日はうすぐもる 船はゆくゆく帆がすすむ」という感じです。
(メモに誤りがなければ)それから、編集部たよりとして次のエピソードが。
「このあいだ夜おそく、6年生の女の子から、菊池洋子ちゃんとぜひお友達になりたいと電話があったの。
7月号を見てファンになったそうなので、洋子ちゃんの撮影の日に来てもらったの。
来月号から表紙モデルになる洋子ちゃんのファン第一号ね。」

1960(昭和35)年9月号

いよいよ、今月号から洋子さんが表紙モデルとして登場。
むぎわら帽子のような帽子をかぶり、首には黒いひもを結んでいる。
白地にピンク色の縦線が入ったワンピースを着て、さわやかなイメージ。
右手には小さな白い花を持っている。心なしか、少し目がうるんでいる。
冒頭の「懸賞のお知らせ」では、「すてきなうで時計を5人の方にさしあげます」という文字の横で、
左手人差し指で、その「懸賞」のうで時計を指さすポーズ、とその腕にはもう、その時計をはめている
洋子さん。顔を右に傾け、白地にいちごのイラスト入りのワンピースを着ている。
髪は三つ編みで白いリボン、前髪はおかっぱ。
編集部たよりから。グラビア「箱根の旅」でのお話。
「朝、編集のSさんが、撮影用のバスに乗ろうとしたら、バスの中は、ふわりふわりと風船でいっぱい。
その時、Sさん、おどろきで目の前がまっくらになったそうよ。
後で聞いたら、犯人は菊池洋子さん。
何かその日、菊池さんはぷんぷんすることがあって、ごきげんをなおすために、撮影用の風船の中にそのぷんぷんをふきこんだわけ。
おけげで今度はSさんがぷんぷんなの。」
冒頭グラビア「九月の白い花」 渡辺典子,小川きよの,菊池洋子。
「箱根山の旧火口、大湧谷は、いおうくさいけむりがもうもうと立ちこめています。
洋子ちゃんは、このにおいでゆでたまごを思い出しました。くいしんぼね。」
撮影コースは、強羅公園、大湧谷、湖尻、元箱根、旧東海道杉並木、その後、ハイウェーで小田原へ。

1960(昭和35)年「夏休み臨時増刊号」にて

「全部読みきり」と書いてあるが漫画が掲載。
表紙の洋子さんは、白のワンピースで、アコーデオンのようなものを持っている。
左手にガラス玉のブレスレッド、それとお揃いの色の髪どめ(今でいうバレッタ?)、髪はおかっぱ、背景は虹色。
冒頭のグラビアは、「山の夏休み」という題で、箱根でハイキングしたり、芦ノ湖で遊んだり、花火をしたり、飯ごう炊飯をやっている。
メンバーは前号と同じで、渡辺典子、小川きよの、菊池洋子。
一番年下の洋子さんは、山道を歩いてる写真では、ちょっとしんどそう。
「夏休みのある日、みどりにつつまれたキャンプ場に3人のお友だちがやってきました。
うぐいすのさえずりがあちこちからきかれるキャンプ場から、3人のお友だちの夏休みのおたよりです。」

1960(昭和35)年10月号

表紙の容子さんは、髪は三つ編みで緑色のリボンをしている。
手には、秋という事で、ブドウのつるのような物を持っている。
冒頭グラビアは、「スポーツの秋、楽しい秋」。
渡辺典子さんと、バドミントンの羽根とラケットを持ってしゃがんでいる。
ちょっと、昔でいう「体育すわり」のようであったと思います。
二人共、赤と白のシャツに茶色の半ズボン。
その他少女雑誌らしく、手芸の特集もやっている。
「100円で出来るやさしい手芸」という題で、スカーフ、エプロン、ブックカバー、のれんの作品の写真が
載っている。「洋子はこれでなにを作ろうかな」と、ミシンメーカーの宣伝もタイアップというか兼ねている。
作品を持って、「かわいいのれんでしょ。洋子のおへやにも、こののれんをかざりたくなっちゃった。」と
にっこり微笑む洋子さんでした。

1960(昭和35)年11月号

表紙の洋子さんは、ピンクと白のスカーフをして、黒いワンピース姿。首を左に傾けて、左手に持っている、木の小枝にリスがちょこんとすわっている姿をモチーフにした小物を見つめている。
冒頭グラビアは、「風」という題。20個ぐらいの色とりどりの風船を結んだひもを左手で持ち、右手を腰にあてて得意そう。
赤のブラウスに薄い青の短めのスカート。くつもスカートと同じ薄い青。
編集だよりから。
「くじ運のいい洋子ちゃん」Wさんがしきりに洋子ちゃんのごきげんをとっているの。
エリ子、へんだなあ…と思ってさぐってみたら、洋子ちゃんはすごくくじ運がいいんですって。
先月も近所の商店のサービス懸賞で5千円当てるし、まえにも宝くじに当たったことがあるのを聞いて、
Wさんが、洋子ちゃんにかわりに宝くじを買ってもらおうとしてたことがわかったしだい。
洋子さんが表紙モデルになってから、ページの端とかに、「少女クラブは小学四年以上向きです」と
いうような記載が目立つような気がする。
この時、洋子さんは四年生であるのですが、顔立ちにどことなく幼さが残っており、きゃしゃな感じが
するからかも知れません。

1960(昭和35)年12月号

表紙では、赤いセーターを着て、室内のクリスマスのかざりつけを見上げて微笑んでいる。髪はおかっばで、特にアクセサリーとかはなし。右手に、これから飾りつける金色の玉を持っている。
「新年特大号のおしらせ」
「こんなに大きくて、ごうかなバッグよ」と書いてある横で、「Princess Bag」という文字と、イギリスの兵隊さん,王冠,ハートの形の手鏡,ラッパが刺繍されている、付録のバッグを持ってにっこりしている洋子さん。赤と青の長袖シャツと緑のズボンを着用。
「つぎのページを見れば、あなただってきっととびあがってよろこびますよ」と書いてあるページをめくると、ほんとに「やったー」って自分で飛び上がって喜んでいる洋子さんが。

1961(昭和36)年 新年特大号

表紙の洋子さんは、鼓笛隊の姿。例の帽子をかぶり、リボンがついたトランペット(?)を抱ている。
手には白い手袋。心なしか、この号も目が少し潤んでいるように見える。
また、母親に叱られたのだろうか? 
ちなみに定価160円。
すっかり表紙モデルも板についてきたという感じで、「少女クラブの顔」になっています。
「お正月 雪の増刊号」のお知らせ頭からすっぽりと白いコート(雪の結晶の模様)に包まれて、
青い服を着た小さな妖精のぬいぐるみを持っている。
「ニュース青い鳥」では、美空ひばりと鶴田浩二共演の「月影一刀流」の記事がある。
この時代は、「スター」というのは、ある程度幅を持たせたとしても、せいぜい20人くらいしかいないようだ。勿論、子役や表紙モデルはスターではない。
だから、かえって若い世代は、親近感が持てたのではないだろうか?
「へんしゅうぶのないしょばなし」では「おとうさん子の菊池洋子さん」、「なにしろ洋子さんは二学期に
三回も教室で立たされたほどのおてんばでしょ。」「もし、洋子がいたずらしたら、なくまでしかって」という
洋子さんのお転婆にはお母様も厳しかったよう。

このエピソードについては菊容子さん語録を参照。

1961(昭和36)年4月号

表紙の洋子さんは、白いジャケット姿で、リボンの付いた卒業証書を白い手袋をした両手で持っている
ポーズで髪は三つ編み。
ジャケットの左腕には、小さなポケットがあり、ライオンのような青いワッペンが縫い付けられており、
そのポケットの中には、紫色の女の子の妖精の人形が入っている。
私立小学校の卒業生をイメージしたものと思われる。
冒頭グラビアは、「チューリップと菊池洋子ちゃん」と題し、チュリップの写真の中に洋子さんの顔写真が
重ねてある。左手の人差し指を左頬につけて微笑んでいるポーズ。

「5月号のお知らせ」では、付録の「プリンセスバック」を肩に掛けるように持って微笑んでいる。
赤いくつを履き、赤いチェック柄のズボン。
「プリンセスバック」は、中央にピンクのチューリップが描かれてあり、なぜか「Hana」と書いてあり、
その周囲を蝶のような黄色の羽を持った少女の妖精が15人描かれている。
「ゆめのような絵にちょうちょのとまったとってがついている、特製のバックです。
高さ26センチ、横36センチ、あつさ9センチのすばらしさ。
春のお宝のような水色のバックをあなたのおともにしてみてはいかが?」と書いてある。

「編集後記」では、「夜店のステッキ」という題で、以下のような記事が。
表紙モデルの菊池洋子ちゃんが、お正月に前かみにパーマをかけました。
エリ子もパーマにはみりょくを感じているんだけれど、この洋子ちゃんのパーマがもんだい。
四月号の表紙の撮影のとき、いくらくしでとかしても、前かみが、やまいものつるのようにまがってしまってバンザイなのよ。
洋子ちゃんは、とっても気にして、「もう、だいじょうぶだと思ったんだけど」とさつえいちゅうはシュン。
この前かみに「夜店のステッキ」という名前がつきました。苦心の表紙をよく見てね。

当時の定価=160円

1961(昭和36)年5月号

表紙の洋子さんは、ちょうちょのかざり(4つある)を見上げている。
服装は赤いブラウスで、髪は長く、赤いカチューシャをつけ、口を少し開けて、微笑んでいる。
冒頭グラビアは、「母の日」。
洋子さんは、ピンクの洋服で、髪に大きなピンクと白のリボンをつけ、右手にカーネーション(これもピンク)を持って覗き込んでいる。

1961(昭和36)年6月号

表紙の洋子さんは、黄色と白のチェック柄のシャツに、紅白の縞模様のスカーフ。
大きな青い風船を右手に持って見上げているポーズ。風船の紐には、ピンク色の花びらが。
広告ページを見ると、「学生ジュニア浴衣を30名にさし上げます。」とあり、少女2人が
実際にその浴衣を着用している。(その内の1人が洋子さん。)
浴衣は、白に木の葉模様のもので、緑色の細い線が縦に入っている。
冒頭グラビアは、「お人形さん」。しかし、なぜか洋子さんは、大きなトラのぬいぐるみを背中に
背負っている。(薄紫色の服を着て、髪にはカチューシャが。)
そして、「このとら、ちょっと悲しそうな顔してるでしょ。洋子がいつもいじめるからかしら。」(菊地洋子)
と書いてある。
編集後記のページを見るとその訳がわかる。
「トラにかみついたヒトの話」とタイトルがあり、洋子さんが背負っていたとらのぬいぐるみは、スタッフが
ある漫画家の先生宅から借りてきたもので、新聞紙をかけ、更にはふろしきを重ねて
汚れないように気を配っていたものだとのこと。そこに、洋子さんが撮影にやってくるなり見つけて、
いきなりがぶりとかみついたのだそうだ。
7月号のふろくのお知らせ。
白黒ページながらスカート姿の洋子が、「ああら、なにかしら。」と。人形や何やら手品セットのようなものを覗き込む。
次ページに「7月号のすてきなふろくでした。」とあり、洋子さんは、「わっすごい。」とにっこり微笑んでいる。

当時の定価で150円。

「少女に夢をあたえて」縮小版

「リボンの騎士」の復刻版が京都漫画研究会が「なかよし」1956年7月号の付録だったものを紙質に
至るまで細かく再現し限定1000部を発売。巻末広告として「少女クラブ」が掲載(!)。
広告の内容は次のとおり。

「少女クラブ」7月号(特大号)・6月9日発売
☆うれしい夏に楽しいおくりもの☆すばらしい5大ふろく
1・リラの花かげに
2・圭子ちゃん物語(”圭子ちゃん”とはカバーガールと思われる。)
3・アパートちゃん
4・まだらのひも
5・マスコットびんせん

「あこがれ」

当時の大卒初任給は、2万円〜2.5万円。
定価140円から160円はかなり高額では。当時の女の子達は、本当になけなしのおこずかい
から購読していたのはないでしょうか?
そんななけなしのおこずかいから「少女クラブ」を買っていた当時の女の子達にとって容子さん
(洋子さん)はまさに憧れそのものだったのだと言える。
また、当時は高度経済成長期の真っ只中。自分の部屋などまだまだ持てないご時世、
インテリア特集など羨ましくも眩しく映った事だろう。

「グラビア」

「少女クラブ」のグラビアだが、この他にも洋子さんが学校の担任の先生の似顔絵をかいている
写真やひな祭りの設定でポーズをとったもの等がある。

「サイン会と催し物」

石森先生の初のサイン会が、愛知県犬山市にあるラインパーク(現在は日本モンキーパークに
改称)にて開催。
当時、先生は「江美子ストーリー」連載中で、カバーガール達も何人か一緒の中に幼い少女モデル時代の容子さんもいらっしゃった。
このサイン会は、ちばてつや先生も御一緒されていた。
その頃の模様は少女クラブ(昭和37年7月号)に「ラインパーク訪問記」と題して掲載されて
いる。
容子さんの記事としては、和服を着て得意の日本舞踊を披露したとの話,フリーの時間を使って、石森先生、ちばてつや先生、それに前表紙モデルの渡辺典子さんと一緒にコーヒーカップに乗ったという記事が掲載。

この年の12月号を最後に休刊。
容子さんは、少女クラブの最後の表紙モデルであり、その40年の歴史上最後の2年余り表紙を
飾る。
余談だが「ウルトラセブン」のエピソード「恐怖の超猿人」にも同所がロケ地として使用
されている。

ご活躍当時に連載されていた石森章太郎作品

1960年2月号
「青い月の夜」

1960年お正月増刊号
「雪の日に」
「ごいっしょに白鳥の湖を ききませんか」

1960年夏休み増刊号
「かげろう」

1960年9月号〜1961年8月号
「虹の子」

1961年お正月臨時増刊号
「きのうはこない だがあすもまた・・・」

1961年夏休み増刊号
「龍神沼」

1962年お正月臨時増刊号
「夜は千の目を持っている」

1962年2月号付録
「赤ずきんちゃん」

1962年3月号付録
「水色の星」

1962年4月号付録
「まんがスクール」

1962年5月号〜12月号
「江美子STORY」

1962年夏の増刊号
「きりとばらとほしと」



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