少女クラブ」は「少女フレンド」の前身にあたる雑誌で、昭和37年に休刊となり同年12月に「少女フレ
ンド」が創刊となるのですが、菊池洋子さんは昭和36年頃の「少女クラブ」に表紙モデルとして
活躍していました。
当時小学校5年生くらいだと思いますが、大人になってからの菊容子さんとはまた違った、あどけない表情が
誌面のあちこちで見ることができます。
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「少女に夢をあたえて」参照
当時の菊池洋子さんがお母さんについて語っている記事がありました。
(昭和36年の新年号)洋子さんは撮影の時にいつもお母さんが付き添っているのですが、お母さんのバックの
中にある目薬が気になる様子。
「ママね、すごくこわいのよ・・・」と洋子さん。
実は2学期に3回も教室で立たされたというおてんばな洋子さんに、お母さんは撮影中にいたずらでもしたら
泣くまで叱って、泣いて赤くなった目に目薬をつけて治してから撮影を・・・と用意しているのだそうです。
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「菊容子さん語録」参照
(情報提供・さかさん)
時は映画全盛期。
そしてようやくTVが各家庭に普及した頃。
容子さんは当時の女優さんとしては大変珍しく”映画”ではなく”TV”に着目していらっしゃいました。
時代は映画からTVが主流になると先読みをされていたのではないでしょうか?
そして、容子さんは現代劇そして時代劇に多数助演されます。
容子さんは、やはり女優さんとしては大変珍しく主役にこだわらない女優さんでして、あくまで助演に
こだわりを持っていらっしゃいました。
それは後に「助演女優賞を獲得したい」とコメントまでされていらっしゃいます。
しかし、女優さんである以上、主役をやりたいという希望があったのではないでしょうか?
助演へのこだわりをコメントされていらっしゃいますが、敢えて主役に対する抱負を余り語って
らっしゃらなかったのは大変奥ゆかしく、また大変向上心の強い女優さんだったと思います。
容子さんが「魔女先生」出演以降、失速したとの声があるようですが・・・上記の説明に加え、次の記述を
ご紹介致します。
これは歌舞伎役者
坂東玉三郎さんのHPより抜粋した記述です。
「歌舞伎の世界ではよく「昔と比べてどうだ」という議論がおきるのですが、そこにはある種の妄想もあると思います。
ただ、私は昔と比べられることに対して、こう考えるようにしています。
「昔はもっと良かったんだろうと思うことによって、より修行に励んだり、研究したり、勉強できる」。
そう考えると、「昔は良かった」と言われることは、悪い言い方ではない。いわゆる原点を探るということは、
実は探り尽くせるものではないのですが、探ろうとするパワーが、自分を向上させる。
また「昔は良かったんだろう」と思うことによって、現在に満足してはいけないと自戒し、ナイーブに探究する
ことが出来る。
「昔の歌舞伎」と今の自分の歌舞伎との距離感を、私はそう捉えています。」
いかがでしょう?どこにも主役に対するこだわりや露出が高い事=成功とは書かれていないですよね?
容子さんは「魔女先生」で主役だったという栄光に振り返る事無く更なる向上の為に「女優・菊容子」でありつづけ、
多数の作品に助演されたのではないでしょうか?それはかのミヤコ蝶々さんや水前寺清子さんが高く容子さんを
評価されているほどです。
そのまま全部を合わせて何かを演じるのが役者。
たとえどんな作品で,どんなに小さい役でも,その役にもそれぞれドラマがあるはず・・・
容子さんの女優論はそこにあるような気がします。
<追記>
容子さんは少女モデルの頃から石森章太郎先生の大ファンでして、石森先生の作品であります「変身忍者・嵐」
「人造人間キカイダー」に出演出来た事をとても喜んでいらっしゃったそうです。